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ここ鞍岡の地は平家の落人の地でもあります。
文治元年壇ノ浦に敗れた平家の落人が鞍岡を越えて椎葉の山中に向かう道すがら、深山悪路のため足弱の者、女子供達等を波帰の山中に残していったと伝えられています。
元久2年、那須大八郎達が平家追討にこの地に来ましたが、鞍岡に残っている平家落人の戦意のないことを覚り、そこで踊りが行われました。
その踊りが基礎となり、変遷を経ながら現在まで受け継がれています。踊りと唄は多彩で、秋の大祭「おくんち祭」に五穀豊穣、安全祈願、願成就として奉納されています。
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ここ鞍岡の地は平家の落人の地でもあります。
文治元年壇ノ浦に敗れた平家の落人が鞍岡を越えて椎葉の山中に向かう道すがら、深山悪路のため足弱の者、女子供達等を波帰の山中に残していったと伝えられています。
元久2年、那須大八郎達が平家追討にこの地に来ましたが、鞍岡に残っている平家落人の戦意のないことを覚り、そこで踊りが行われました。
その踊りが基礎となり、変遷を経ながら現在まで受け継がれています。踊りと唄は多彩で、秋の大祭「おくんち祭」に五穀豊穣、安全祈願、願成就として奉納されています。